マリヤナ時報は米海軍情報局が作成した新聞形式の伝単(投降勧告ビラ)当初は日系人が編集に携わるが日本文に違和感が有り南太平洋戦線で捕虜となった日本軍人に米海軍情報局が編集校正をさせた。昭和20年6月から米海軍情報局はマリヤナ時報の編集段階から日本人捕虜に任せる様になる。ハワイのパールシティ収容所で文筆に長けた数十名の陸海軍軍人捕虜が集められ編集作成の中心人物は硫黄島で投降した小柳胖(出征前は新潟日報編集局長)またグアムで捕虜になった横田正平(朝日新聞記者)高橋義樹(同盟通信記者)が加わることによりマリヤナ時報は出征前に各社記者だった人物が作成する伝単となった。小柳達はハワイの新聞社に出入りを許されそこで得た戦況のニュースを編集し週刊新聞を伝単とした。安易に投降せよと明記するだけではなく本土空襲の状況や沖縄戦の状況等 事態が次第に日本に不利にる事実を淡々と伝える事により日本人の厭戦を掻き立て様とする物であった(日本側の名称は謀略宣伝ビラ)マリヤナ時報は南方第一線〜本土一部沿岸に米軍機から撒かれた物で非常に入手困難。
この夏TBS報道特集(仮タイトル戦争と報道)で使用する予定なれど尺の関係上報道番組で使用する事なく元産経新聞社出身の現役ジャーナリストが購入。