陸軍航空科通信兵伍長 中西久夫(神坂次郎)和歌山市出身 旧制中学4年修了後 昭和18年 東京陸軍少年飛行兵学校(甲種)入校〜同19年 陸軍水戸航空通信学校卒 群馬県館林の陸軍特攻編成基地より鹿児島の陸軍知覧特攻基地を経て偵察機の機上通信員として愛知県の陸軍小牧飛行師団司令部勤務中に終戦(終戦時19才の志願兵 戦隊勤務2年兵)
※何で士官学校へ行かなかったのか?将校になる道を選択しなかったのか?と言う事をよく言われたんですが将校になる道を選んで他の歩兵とか自分の思いが違う兵科になると困るんですね 飛行学校というのはともかく飛行機に乗って飛んで行ける そういう少年の夢のようなものもありました。飛行兵と言うのは作戦毎に部隊が移動しますから原隊がないと良く言われたぐらいで転々と変わっていきます 戦況の変化によって飛行学校を出ましてそれからすぐ戦地ですからね 内地におりましても戦地なんです 飛行兵は普通の兵科ですと時間をかけて運ばれて戦地へ行くんですが飛行場ではすぐ死ぬわけですよね 飛行機が落ちるとすぐ死にますから ですから小学生なんかと一緒に遊んでおってももう次の時間死んでいるかわからないですね 明日の約束はできないんです 午後の約束はできないんです まずそれが戦隊勤務の飛行兵の宿命なんですね。終戦時 部隊に於る機密暗号書等を処分する際 書類を燃やしながら涙が止めどなく流れたと後に述懐。
晩年(火縄銃に傾倒)