陸軍経理部中尉 繁田裕司(三木鶏郎)出身は東京市麹町区飯田町 昭和16年現役初年兵として東部第六部隊(赤坂連隊)重機関銃中隊に入営 弁護士志望だけあって要領宜敷く経理部甲種幹部候補生〜東部第9部隊(戦車習志野)にて経理部見習士官勤務を経て昭和17年12月陸軍経理部少尉任官 昭和18年8月東部軍管区教育隊(千葉県習志野に新設)転属 同隊経理室勤務にて終戦 昭和20年9月末 部隊に於る給与支払等の残務整理完了後 同日召集解除(2年浪人の東京帝大法学部出身 経理部甲種幹部候補生上り 約4年間 軍務に服役)
※浪人2年目は徴兵逃れの為 専修大学に籍だけ置く。戦後雑誌対談等で終戦に依る1階級特進(ポツダム大尉)に固執の感あり 経理部甲種幹部候補生の同期に堀田政孝(衆院議員)五島昇(東急電鉄会長)等。
経理部甲種幹部候補生当時 初の面会日(軍帽前章は近衛師団)
戦時下なれどどう考えてもナルシスト全開の着こなし方「青年将校文化」である(写真館撮影にして将校用マント着用とは…ある意味スタイリッシュとしか言えない)
晩年。